


『風土記稿』は、明治初期に現社名となった当社を「三島千勝五霊合社」と載せている。当地は古利根川の河岸にあり、往古は渡し場があった。三島の神は「和多志の神」と呼ぶことから、渡し場の守護神として勧請されたものと思われる。また、千勝の神は都都古別の神とも呼ばれ、河の神・農の神といわれる。五霊の神は、当地に柿沼河岸が設けられて交通の要衝となったことから、往来の人々と共に侵入する疫神、更に怨霊を鎮めるために祀られたと思われる。このように、川との関係により勧請されたと考えられるが、その時期は不明。
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