


中野には本田上・本田中・本田下・新田・前新田・仕出の六耕地がある。このうち、開発の早かった本田上以下の三耕地では香取社を、後で開かれた新田以下の三耕地では日枝社を鎮守として祀っていた。日枝社は、『風土記稿』に「山王社 村の鎮守なり、薬王院持」とある社で、その創建については、新田の開発に当たり、太田道灌が江戸城を築くに際して日吉山王権現を鎮守として奉斎した故事にあやかろうとして勧請したものと伝える。
一方、香取社は『風土記稿』に薬王院の境内社として載り、その草創は同院とのかかわりが考えられる。
明治初めの社格制定に際しては、従来、村の鎮守とされてきた日枝社に代わって、比較的規模の大きな香取社が村社となった。更に大正4年に日枝社を合祀し、社号を中野神社と改め、今日に至っている。
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| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
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| 手水鉢 | 石祠 稲荷社、三頭天神社 |
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| 稲荷社 | 庚申塔群 |
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2017/05