


『高野村志稿』所載の「天神島菅神廟縁起」によると、神扇の人で弘道という者があり、寛平年中(889-98)に京に上り、菅原道真(すがわらみちざね)公の元に教えを受け、やがて官に仕える。 延喜元年(901)、菅公が陥れられて太宰府に左遷されると、弘道も連座して職を免ぜられる。延喜3年に菅公が薨ずると、弘道は哀惜に堪えず国分寺において剃髪し、僧となり正厳房智明と号した。その後諸国を行脚した智明は、延喜20年(920)に当地に帰り轡瀬(くつわせ)の駒ヶ島に庵を結んで菅公の菩提を弔い、延長元年(923)には各地を勧進して菅神廟を建立した。これが当社の起こりであり、以来近隣の人たちに雷雨降雹を支配する天神と信仰され、やがて当地は天神島と呼ばれた。
『明細帳』由緒欄には、明治41年2月15日に、同村同字の愛宕神社、同厳島神社、同道祖神社を合祀とあり、また同45年4月11日に同村字轡瀬の八坂神社を合祀した旨の記載がある。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
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| 手水鉢 | 手水鉢 |
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| こまいぬ | |
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| 愛宕神社 | |
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| 白太夫木社 | 猿田彦大神 |
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| 神楽殿 | 庚申塔、青面金剛 |
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