


『風土記稿』は当社について「香取社 村の鎮守なり 宝性院・真乗院の両寺にて預かり」と載せている。このように別当が二つあったことは、元禄年中(1688-1704)に千塚村が当社を境に上下の二耕地に分かれ、各々独立した意識を持つようになったことの表れであろう。
一方、『郡村誌』に当社は、「鹿島香取社 村社(中略)村の中央にあり武甕槌(たけみかづち)命・経津主(ふつぬし)命を合祭す」と記されている。鹿島社については、『風土記稿』には記載がないが、古くから千塚の住民の間で厚く信仰されていたらしく、当社の境内には、旧家である三ッ林家の先祖(当時は三津村姓)によって享保20年(1735)に建立された 「鹿嶋大明神」の石祠があり、安政5年(1858)の棟札にも「奉再建 香取大明神・鹿嶋大明神本殿」と記されている。
当社が千塚神社と呼ばれるようになるのは、大正3年のことで、これについて『明細帳』には「本社ハ曩二香取神社・鹿島神社合殿ト称セシガ、大正3年1月17日地内八幡神社・浅間神社・天神社ヲ合祀シ千塚神社ト改称ス」とある。
スポンサード リンク
| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
![]() | ![]() |
| 手水鉢 | |
![]() | |
| こまいぬ | |
![]() | ![]() |
| 燈籠 | 石祠 稲荷、稲荷、鹿嶋、稲荷、稲荷 |
![]() | ![]() |
道楽の部屋について
2008 © umacamelife.net
2017/07