


口碑によれば、本村及び当地の開発は、弘治元年(1555)に、美濃国高須城主の三男鈴木三郎高俊が移住して来て行ったものと伝えられており、高須賀の地名は、その出身地の高須にちなんだものであろう。この口碑を裏付けているのが当社の内陣に安置されている二面の十一面観音像懸仏(直径19cm)である。その銘文によれば、一方の懸仏は「香取大明神」、もう一方は「鹿嶋大明神」のもので、両方共に奉納者並びに年紀は「本願浦五郎三郎 弘治3丁巳正月25日」となっており、口碑に伝えられている村の開発の年代に符合する。これらのことから、当社は恐らく、村の開発後まもなく、その繁栄と安泰を願い、大社で武神として名高い香取鹿嶋の二柱を勧請して祀ったことに始まるのではないかと考えられる。
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| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
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| こまいぬ | |
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| 記念碑 | 石祠 鹿嶋社、稲荷社 |
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2017/05