


境内に建つ「杉戸町耕作地整理竣功記念碑」によると、拾八丁は金付田耕地とも称し、池や沼が多く、しばしば水害があって耕作者を悩ませた地であった。このような低地であることから、当社の創建についても水害にまつわる話が伝えられている。これは、昔この辺り一帯が大水に見舞われた際、栗橋方面から流れ着いた御神体を奉斎したことに始まるというものである。また、一説には、常陸国の笠間稲荷神社の流れを汲むともいうが、確証を得ない。
明治初年の社格制定に伴い、当社は無格社となったものの、その後の合祀政策に際しては、その対象から免れて、現在に至っている。
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