


口碑によれば、江戸初期に金谷原の「七郎名主」と呼ばれた関根家では金山大神を鎮守としていた。村には上の上寺(宮崎坊か)と下に遍照院があった。当時村では上下の対抗意識が強く、名主の関根家は下に居を構えていた。安永年間(1772-81)以前に、名主が関根家から上の折原家に替わるや、上では金山社を鎮守として祀るのを嫌い、新たに京都の伏見より稲荷を勧請した。そこへ下の金山神社を合祀したという。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
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| 手水鉢 | |
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| きつね | |
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| 金山大神 | 天満宮 |
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| 雷電宮 | 金谷権現神社 |
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2016/07