


『風土記稿』慈恩寺村の項には「十二天社 本坊の北にあり、慈恩寺三村の鎮守なり」と載り、江戸期までは、慈恩寺の北方に鎮座していた十二天社が、当地の鎮守であったことがわかる。
明治維新になると、浦和市岸町の調神社に分霊を願い出て、十二天社の隣接地に月讀神社すなわち当社を建立した。これは、十二天社が慈恩寺の創建と深くかかわり、同寺の守護神として一体不離のものであったことから、明治初年の神仏分離政策をかわすために、当社を創建したものと推測される。ちなみに、創建時の建築費は慈恩寺が捻出したという。社名については十二天を暦の月に当てたものであろう。
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| 鳥居 | 手水鉢 |
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| 井戸舎 | |
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| 十二天社 | |
| 拝殿 | 手水鉢 |
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| こまいぬ | |
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| こまいぬ | |
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| 浅間大神 | |
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2016/06