


当社はその昔、隣接する裏慈恩寺の村に疫病が流行した際に、小溝の方へ疫病が入ってこないようにと、長野県の諏訪大社から御神体を頂いて来て祀ったことに始まるとという。当社の境内が裏慈恩寺との境にあるのは、こうした事情によるものであるが、残念ながら創建の年代は不詳である。
社格制定に当たっては、前島の羽黒神社が村社になり、当社と本村の鷲神社は無格社にとどまった。そのため、政府の合祀政策が推進された明治末期には、二度ほど羽黒神社への合祀を勧める声が上がったが、当社と羽黒・鷲の両社共に氏子数がほぼ同じであったため、実行にまでは至らなかった。
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2016/06