


村名の起こりになったことや、地内には当社の境内以外には樹木が森を成している場所はないことから、村名の付いた近世初頭には既に当社の杜がある程度成長していたと思われる。したがって、当社は戦国時代には既に勧請されていた可能性がある。『風土記稿』は当社について大森村の項に「香取社 村の鎮守なり、利生院持」とのみ記し、多くを伝えていないが、社記に載る宝永3年(1706)「奉造立山王香取宮雨屋一宇」の棟札の写しや、鳥居に掛かる天保7年(1836)銘の「香取大神・日枝神社」の石造の社号額などから、江戸期には香取・日枝両社の合殿として祀られていたことがわかる。
神仏分離の後は、明治5年に村社となった。
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2015/06