


『風土記稿』には「稲荷社二 村の鎮守なり、真福寺の持」とあり、村の鎮守として二社の稲荷社が祀られていたことが知られる。
これは、古くは村内が上下の二組に分かれており、別々に稲荷社を鎮守として祀っていたためである。この二社のうち、当社は上組で祀っていた社である。
明治5年に谷口村の村社となり、明治40年に下組の稲荷社をはじめとする3社を合祀した。
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| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
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| 手水鉢 | 木鼻の彫刻 |
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| きつね | |
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| きつね | |
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| きつね | |
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2014/07