


当社は、この垳の鎮守として祀られてきた神社であり、『風土記稿』垳村の項には「稲荷社 村の鎮守にて、浮塚村大聖寺の持なり」と載っている。口碑によれば当社は、京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請したものであるといい、このことは内陣に伏見稲荷大社から発給された「正一位稲荷大明神」の神璽宮が納められていることによって裏付けられる。この神璽筥の底部には「奉安鎮 明和9年(1772)正月 城州(山城国、現京都府)紀伊郡稲荷本宮社務 神主従三位秦親盛」との墨書があるが、これは伏見稲荷大社からの正式な分霊の勧請を示すも ので、実際にはそれよりも前から当社が鎮守として祀られていたと思われる。恐らくは、垳が村として安定してきたこの時期に、村にふさ わしい鎮守をと願って伏見稲荷大社の分霊を勧請したものであろう。
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