


当社は、葛西用水の東側に鎮座し、その境内地(49坪)は青柳小学校と民家とに挟まれた一角にひっそりとある。
口碑によれば、神明様は元は宇田川家の氏神で屋敷の西隅に祀られていたが、いつのころか今の地に移されて、村持ちの社となったという。
当社の移転時期は明らかでないが、『風土記稿』には「神明社 村持」と見えることから、化政期 (1804-30)には既に今の地に祀られていたものであろう。
明治初年の社格制定に際しては、青柳村の妙見社が八幡神社と改称して村社に列し、当社は無格社とされた。その後、当社を八幡神社に合祀する画策がなされたが、当社の地元である字大広戸の人々の強い反対により中止に至った。
社殿は、棟札によれば、明治22年に再建し、その後昭和43年に再建した。
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2013/08