


立野堀は、伊奈忠次による新田開発で自然堤防や後背湿地が切り開かれた村で、化政期(1804-30)には戸数76あり、稲作を主体とする村であった。当社の鎮座する上根通は立野堀村の中央に位置し、旧綾瀬川によって形成された微高地で、南に接する下根通と共に村の中心地であった。上下それぞれに稲荷神社が祀られており、当社そのうちの上の稲荷神社である。
上立野堀村と下立野堀村は別村として助郷勤めをしていたことが見える。このことからすると上下の稲荷神社は、実際はそれぞれの村の鎮守として祀られていたと考えられる。
口碑によれば、明治末期には上下いずれも有力者がいたため、合祀は行われなかったという。
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| 鳥居 | 八坂神社 |
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| きつね(本殿の中) | |
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| 見事な彫刻 | |
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2013/08