


『風土記稿』には「聖天社 村の鎮守なり、東西寺の持」と載る。また、当社とは別に「二ノ宮社 長二尺、横一尺許の青石を神体とす、村民持」との記載があり、「二ノ宮社」は、当社とは別の社であったと思われる。『郡村誌』などその後の地誌には、聖天社の名が見られなくなり、当社の社号が二ノ宮神社に変わっていることを考えると、聖天社に二ノ宮社を合祀し、社号を二ノ宮神社と改めたものと思わえる。これ は恐らくは、明治初年、神仏分離によって存亡の危機にあった聖天社を永続させるためにとられた措置であろう。
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2013/05