


地内には、須賀・上・中・下といった村組が古くから形成されている。社伝によれば、当社は、寛文のころ(1661-73)、備後の村内の森泉金左衛門の所有地に落雷があり、そこに上野国の雷電神社(群馬県邑楽郡板倉町鎮座)の分霊を祀ったのが始まりであるという。
明和年間(1764-72)には下組の鎮守として祀るようになった。『風土記稿』備後村の項に「雷電社 是も鎮守とす、村民の持」とあるのは、そうした状況を表したものである。ただし、社格制定に際しては、当社に比べて氏子の多い須賀組の稲荷神社が備後村の村社となったため、当社は無格社にとどまった。現在の社殿は、明治期に再建されたというが、その年代は明らかではない。
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