


東側を流れる古隅田川が、近世以前に利根川本流であった際の自然堤防である。この利根川は当社の南で、西から流れる荒川と合流し、更に大きな流れとなって南へ流れていた。併せて、中世に鎌倉と奥州を結ぶ鎌倉街道中道の重要な渡河点であった「御厩瀬渡」が、当地と下流の村国(岩槻市)とのおよそ2kmの間を渡船で結んでいたとされる。
この渡船の業務に下蛭田の人々が携わったものと思われ、花積の台地の突端は、下蛭田にとって大切な場所であった。『風土記稿』花積村の項に「住吉社 天正19年(1591)の勧請にて、下蛭田村の鎮守なり、同村東光院の持、神体は円径一尺余の鏡板にて梵字を彫り」とあり、ここに水難除け・航路安全の神である住吉の神を祀るようになった。
当社は御厩瀬渡の水難除け・航路安全を願って信仰されたが、江戸初期には、利根川の流路や街道が遷されたために、渡しも廃されてしまった。その後は村の鎮守として崇敬されている。
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2013/05