


当社は、増戸の鎮守として祀られてきた神社であり、『風土記稿』には「神明社 村の鎮守にて、浄泉寺の持」と記されている。江戸時代に火災に遭った際に古い資料を焼失してしまったものらしく、勧請にまつわる記録等は残っていないが、境内には天和2年(1682)の庚申塔(青面金剛)があることから、少なくともその時期に当社が存在していたと考えてよいと思われる。
明治6年に村社になり、大正元年10月15日に字天神原耕地の無格社菅原社(天満社)、字上前耕地の無格社稲荷社を合祀した。更に、昭和3年には御大典記念として拝殿の修復や屋根の葺き替え、石鳥居の奉納、参道の花崗岩敷石の奉納などの大規模な整備が実施され、現在に至っている。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
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| 手水鉢 | 石祠 稲荷、天満、御嶽 |
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| 石祠 稲荷 | 大黒天 |
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2013/05