下谷神社

社  史

口碑によれば、不動院野の村は、関ヶ原の合戦で敗れた豊臣方の武士11名がこの地に落ち延びて開いたものであるという。また、地内の小字名が、徳右衛門・六右衛門・四郎右衛門・茂兵衛・久太郎・修理・掃部之助・善兵衛・長左衛門・嘉右衛門・次郎右衛門といず れも武士の名であるのは、この11名の開発者が各々の耕地に自分の名前を付けたためであると伝えられる。
これらの小字には、各々開発者が祀った神社があり、その住民によ って信仰されていた。『風土記稿』不動院野村の項に香取社7・稲荷社・天神社・雷電社・大杉明神社と、11の神社が記されているのはそうした状況を表したものといえる。『風土記稿』では、7つある香取社の1つが村の鎮守とされているが、明治初年の社格制定に当たっては掃部之助の天神社が村社になった。これは、天神社が村の中央に位置していたためで、神社の規模はいずれもほぼ同様であった。
明治44年、政府の合祀政策に従い、この天神社に次郎右衛門・ 長右衛門・四郎右衛門・久太郎・茂兵衛・修理・善兵衛の各字の香取神社及び両(徳右衛門と六右衛門を合わせたもの)の雷電社を合祀した。この合祀を機に、天神社を下谷神社と改称したことにより発足したのが当社である。

ご祭神
菅原道真(すがわらのみちざね)公
経津主(ふつぬし)命
宇迦之御魂(うかのみたま)神
倭大物主櫛甕玉(やまとのおおものぬしくしみかたま)大神
アクセス
春日部市不動院野1284YAHOO地図より

スポンサード リンク

Photo

鳥居手水鉢
鳥居手水鉢
手水鉢大杉神社
手水鉢大杉神社
疱瘡社石祠 稲荷・稲荷・社日様
疱瘡社石祠 稲荷・稲荷・社日様

道楽の部屋について
2008 © umacamelife.net
2012/07