


大増新田は、開発当初から上下に分かれていたと考えられ、名主(里正)も各々別に置かれ、鎮守も各々別に香取社を祀ってきた。『風土記稿』上大増新田・下大増新田の項に 「香取社二宇 一は上新田、一は下新田の鎮守にて、上下里正の持」と記されている。
文政5年(1822)2月の「地誌調御用上、下大増新田村方書上帳」には「一、鎮守 香取大明神一社 往古より名主左太夫持 一、鎮守 香取大明神一社 往古より名主栄治持 」とあるが、後者の「香取大明神」が当社である。
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| 鳥居 | 手水鉢 |
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| 鰐口がぶら下がっている。 | 石祠 天神、天神、天満宮、天神、疱瘡神、天神 |
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2013/05