


『風土記稿』には、「歓喜院 新義真言宗、蓮華山禅鳳寺と云、本尊十一面観音を安ず、江戸大塚護持院の末、鐘楼天明年中(1781-89)鋳造の鐘をかく、香取社 村の鎮守とす 不動堂」と記され、当社は本来、歓喜院の寺鎮守として祀られたものが、村の鎮守にもなっていたことがわかる。
明治42年には、政府の打ち出した神社合祀政策を受けて、当社に字池端の村社浅間神社を合併し、更に字屋敷前の無格社第六天神社字井堀外の無格社雷電神社を合祀して大枝村の村社となった。 また、昭和45年には、拝殿兼覆屋を新築の上、南に約10m移動させた。なお、旧社殿は現在も神楽殿として利用している。
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| 鳥居 | 手水鉢 |
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