


『風土記稿』には「香取社 村の鎮守なり、宝性院持、末社 愛宕 稲荷」と記されており、江戸期の当社は鎮守の香取社の末社として祀られていた模様である。
一方、『明細帳』では稲荷神社が村社に列し、明治45年に境内社の香取神社と雷電神社を合祀した記事が見え、江戸期に本社・末社の関係であった香取神社を稲荷神社が明治期に入るとその地位を交替した。その理由は不明であるが、『明細帳』と同時期の『郡村誌』には村社は香取社が載り、稲荷社の社名は見えず、村社列格に際して混乱が生じたことをうかがわせ、香取様の通称からもそのことがわかる。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
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| 手水鉢 | |
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| こまいぬ | |
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| 石祠 稲荷大明神 | 石祠 天神、天神、疱瘡神、天神、天神、荒神 |
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2013/06