二荒山神社(栃木県)

社 史

延喜の制名神大社に列し、当国一の宮であると伝える。仁徳天皇時代、毛野国を上下二国に分かち、豊城入彦命の4世の孫、奈良別王が初めて下野の国造に任じられた。よって二荒山の北丘に鎮まる祖神豊城入彦命を国社として今の摂社下宮の所在地なる南丘荒の尾崎よりこれを拝し、この王の子孫が長く奉祀せられた。その後下毛野氏の子孫が繁栄して各地に移住し各所でその祖神を祭った。承知5年本社の二荒山の南丘なる下宮より、この北丘の現地に遷座し、以来武将の尊崇が深かった。源頼朝・義経の奉幣あり、徳川家康も慶長10年本社を造営。元和5年本多上野介が宇都宮に入城して町の割替をした時、この二荒山を二つに分割して中央に道路を設け本社と下宮とを分離してから原形を損なってしまった。社殿は明治戊辰の役の兵火にかかり、その後造営された。明治16年国幣中社に列した。

ご祭神
豊城入彦命
大物主命

アクセス

宇都宮市馬場通り1-1-1
YAHOO地図より

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