
祭神は文化6年9月に誕生され、安政5年7月に亡くなられた。文久2年城西南泉院の郭内に社地を選定し、元治元年社殿を竣工、照国神社と称した。公は幕末内外多事多難のとき、国家の前途を洞察して対処し、尊皇尽忠を基として学問を奨励した。また西欧文明導入にも意を用いられた。安政元年7月11日は、公の創案により、日章旗を総船印とする旨の布達のあった日で、これが国旗誕生制定の記念日であり、国旗祭を斎行する。明治6年県社、明治15年別格官弊社に列格。昭和20年戦災で全焼したが、昭和33年現社殿を造営、のち拝殿・神門・手水舎を造営して今日に至る。
鹿児島市照国町19-35
YAHOO地図より
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鳥居 | 手水舎 | 手水鉢 |
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神門 | 休憩所 | 斉鶴 |
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