長良神社

社 史

藤原長良公は贈太政大臣正一位藤原冬嗣公の長子で、権中納言兼左衛門督に任ぜられ、東国平治のため下向常に民衆を憐れみ病を癒し貧を救い仁恵を施した。後元慶元年(877) 左大臣正一位、重ねて同3年(879) 太政大臣を贈られた。死後貞観11年3月18日(869)大和国春日大社の末社に列せられた。
時に上野の 住人赤井良遠なる者が長良公の余徳を慕い、本国に勧請せんと奏聞し、勅許を得て佐貫莊長柄郷瀬戸井村上の森に社殿を造営した。以後佐貫の人民をはじめ郡内の人民の信仰深く、分社するものが多く赤井山城守照光館林城主となるや、天福寺境内に社殿を造営して当地に勧請する。爾来領主代々氏子の崇敬厚く、社殿を修復し、境内の整備につとめ、社地の寄進等あり祭事の興隆に努力せられた。
享保5子年(1720)正一位長良大明神の宣旨を賜わり、明治6年1月郷社に列し 長良神社と改称する。

ご祭神

藤原朝臣長良公
合祀:蛭児命・大国主命・豊受姫命・金山比古神・伊奘諾命・伊奘册命・猿田彦神・鹿屋野比売神・倭建命・句々逎馳神・長乳歯神・素盞鳴命・大山祇神・倉稲魂命・木花咲夜姫命・菅原道真公・大日霎命

アクセス

群馬県館林市代官町11番38号
YAHOO地図より


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手水舎手水鉢こまいぬ
こまいぬこまいぬ
祠 稲荷宮
織姫神社

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