内川神社

社  史

『風土記稿』によると、上内川村には4社の女体権現社があり、一つは松高組の鎮守で松高寺持の社、一つは金杉組の鎮守で蓮蔵院持の社、一つは新堀組の鎮守で西蔵院持の社、一つは船渡内組の鎮守で密蔵院持の社であった。一方、下内川村にも五社の女体権現社が見られ、 いずれも村の鎮守であった。恐らく内川村が開かれた時に女体権現社1社が勧請され、耕地が広がるにつれ次々に分祀されていったものと推測される。
明治初めの神仏分離により4社の女体権現社は、寺の管理を離れ、社号を女体神社と改めた。このうち、新堀の女体神社が村社に指定され、ほかは無格社となったが、その選定理由は明らかではない。
明治44年と大正元年の2回に分けて、新堀の村社女体神社をはじめとする28社が、松高の無格社女体神社に合併されることになっ た。これを機に社名を内川神社と改め、現在に至っている。

ご祭神
伊弉冉(いざなみ)命
アクセス
吉川市上内川212YAHOO地図より

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鳥居手水鉢
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