


風土記稿』下赤岩村の項には村内の社について次のようにある。香取社4 1は源性院持、1は真乗院持、1は川藤村大泉院持、1は鏡智院持、共に村の鎮守なり、○惣体権現社 祭神は伊弉諾伊奘册なり、川藤村大泉院の持、 ○神明社 観音寺の持、○稲荷社以上の三社も小名岩平組の鎮守なり、持前に同じ、○八幡社 土人の伝へに東照宮此辺御遊猟のとき、当社へ御腰を掛させ られしと云、東陽寺持、
これらの諸社のうち、寺院との位置関係から「真乗院持」として記されているのが当社であり、規模が最も大きかったことから明治6年に村社となった。境内は下赤岩の西寄りに位置する岩島と呼ばれる集落のほぼ中央にあって、長さ100mを超える美しい杉並木の参道を持つ。本殿と拝殿は共に大正7年に落成したものである。
明治の末に行われた政府の合祀政策はこの下赤岩にも波及し、大正元年10月30日、右の『風土記稿』に記されている「真乗院持」の香取社以下七社(いずれも無格社)が当社に合祀され、文字通り1村1 社となった。
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2010/07