


慶長年間(1596-1615)に、後の日光街道となる奥州道が整備されると、隣接する越ヶ谷宿の加宿として大沢町が形成された。これに伴い、人々は街道沿いに転居したが、その折、鷺後の香取神社を上宿に勧請して町の鎮守として、同時に当社を合祀した。
なお、鷺後の香取神社及び当社は移転・合祀後もそのまま旧地にも祀り続けられた。『風土記稿』には、本山派修験真蔵院持として、当社の存在が確認できる。しかし、明治44年、神社合祀政策を受けて、再び当社は上宿の香取 神社に合祀された。境内社殿はそのまま残されたものの、この合祀が解除されたのは、昭和30年のことである。
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2009/04