


当社は、登戸村の鎮守として祀られており、その創建は『郡村誌』に「慶長年中(1596-1615)勧請」と記されている。
文化3年(1806)の『日光道中分間延絵図』を見ると、当社は日光街もり道の東に 広がる耕地の一角のわずかな杜の中にぽつんとあり、そこから南にやや離れて本村の集落が描かれている。まだ、同じころの『風土記稿』には「稲荷社 村の鎮守にて村民持」と記されている。
明治初年の神仏分離を経て、当社は明治4年に村社となった。創建の時期は不明。登戸村の鎮守として祀られてきた。明治4年に村社となった。
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| 鳥居 | 手水鉢(弘化2巳年とある) |
|---|---|
| きつね(文政4年とある) | |
| 本殿 | 参道 |
| 入口 | 青面金剛 |
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2009/04