


南百は、古利根川と元荒川の合流点の右岸に位置しており、当社はこの両川の合流点のすぐ西の畔に鎮座している。
この南百の鎮守として信仰されていた当社が、いつごろ勧請されたのかは、記録や伝えがなく定かではないが、恐らく村の開発と相前後して祀られたものと推測される。 久伊豆神社や稲荷神社が鎮守として多く祀られている越谷の市域にあって、 水神社を鎮守としたのは、村が古利根川元荒川の合流点にあるため、水害を被りやすかったことによるものと思われ、村の平穏を祈って水の神を祀ったのであろう。
明治8年に村社となり、同40年に字西妻の無格社手間天神社を合祀(昭和25年ごろ合祀解消)した。もとは吉川橋と中島橋の間にあったが、河川改修により平成18年5月現在地に移転した。
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| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
|---|---|
| 手水舎 | 手水鉢 |
| 本殿 | 左から青面金剛、水神大尊宮、青面金剛 |
| 石碑 | 古峯神社 |
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2009/04