


越巻には、中新田・丸の内・雨足の組があり、丸の内の住民は当社を、中新田と雨足の住民は、現在の新川町2丁目にある別の稲荷神社を、それぞれ鎮守として祀ってきた。『風土記稿』越巻村の項に「稲荷社 二宇 一は鎮守にて慶長17年(1612)、一は元和元年(1615)勧請すといふ、共に万蔵院持」との記述があるのは、そうした状況を表したものといえる。
当社は、先の『風土記稿』の中に見える2つの稲荷社のうち慶長17年創建の方の神社である。
スポンサード リンク
| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
|---|---|
| 参道 | 石碑 前はこの地区を腰巻村だった。 |
| 石祠 | 天満宮 |
道楽の部屋について
2008 © umacamelife.net
2009/04