


『明細帳』には「元禄元年(1688)6月11日創立」とあるが、華蔵院・西福院両別当より奉納され、内陣に安置されている2枚の同型の十一面観音像の懸仏に「承応2年癸巳(1653)11月14日」の墨書があることから、元禄以前の創立であることが分かる。また、化政期(1804-30)の『風土記稿』によれば、当社は小曾川村及び砂原村の鎮守で、社地はもと砂原村地内であったという。
神仏分離を経て、当社は村社となり、明治45年に政府の合祀政策に伴い、地内の無格社の天神社と道祖神社を合祀したことが『明細帳』に載る。
スポンサード リンク
| 鳥居 | 手水鉢 |
|---|---|
| 参道 | 石碑 |
| 石碑 | 石碑 |
| 石祠 大杉社 | 石祠 左から疱神社、金毘羅大神 |
道楽の部屋について
2008 © umacamelife.net
2009/04