浅間神社

社  史

当社は平方の鎮守とされ、そのほぼ中央に位置し、社殿は小丘の上に建てられている。浅間山と呼ばれるこの小丘は、かつて古墳ではないかということで県によって調査がなされたが、何も出せず、古墳ではないことが確認された。したがって、この小丘は、時代は定かではないが、当社を勧請する際に築造されたものと推測される。なお、かつてはこの小丘はもう少し低いものであったが、大正8年に社殿再建を行った際に、氏子が周囲の土を盛って1mほど高くしたという。
明治初年の神仏分離により別当から離れた当社は明治4年に村社となった。明治45年には政府の合祀政策に従い、氏 子区域にあった無格社を合祀することとなった。この時、当社に合祀されたのは、字会の川の女帝神社及びその境内社の八阪神社・金刀比羅神社・御嶽神社・稲荷神社・天神社・字横手前の無格社天神社、同字の無格社三 島神社及びその境内社の御嶽神社の計9社であった。

ご祭神
木花咲也姫(このはなさくやひめ)命
アクセス
越谷市平方3604YAHOO地図より

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鳥居手水鉢
鳥居手水鉢
石碑石碑
石碑1石碑2
石碑
石碑3

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2009/04