


口碑によれば、当社は往古から平方村南の里鎮守として祀られてきた神社であるといい、伊弉冉命と神功皇后の2柱が祭神である。その霊験あって、祖先より氏子の生活や健康は、他の地に比して豊かであったが、社格無格社であったため、明治45年7月5日、政府の合祀政策に従って 村社の浅間神社に合併されることとなった。
ところが、この合祀の後、氏子の間にはどういうわけか夭折(ようぜつ)する婦人や経済的に悲運に見舞われる家が多くなった。一方、当社を合祀した浅間神社も大正6年10月1日に火災を起こして全焼し、当社の神体も台座だけが残るという状況であった。そのため「これは神の思し召しにかなわぬ事ぞ」と、氏子一同協議の結果、旧社地に仮宮を作り、昭和8年4月10日に浅間神社から焼け残った神体の台座を奉還した。
こうして女帝神社は再興され、氏子の生活も合祀前のような状態に戻った。
スポンサード リンク
| 鳥居 | 本殿 |
|---|---|
| 石祠群 | 神額 |
| 八坂神社 | |
道楽の部屋について
2008 © umacamelife.net
2009/04