


当社は、この南荻島の鎮守として祀られてきた神社であり、『風土記稿』荻島村の項には「稲荷社 村の鎮守とす、玉泉院持」と載る。
境内に建つ国有境内地譲与録碑に刻まれている由緒によれば、当社は享保9年(1724)11月19日神祇管領卜部(吉田) 兼敬より宗源宣旨を以て正一位の神位幣帛を賜り、寛延2年(1749)に社殿の造営を行い、更に天保2年(1831)に再建したという。本殿には、神牌のほかに、伏見稲荷別当愛染寺から受けた正一位稲荷大明神の神璽、狐に乗った荼枳尼天像の御影を中心に配した懸仏、稲穂を担いで狐に乗った姿の稲荷大明神像が安置されており、懸仏には「奉寄進稲荷大明神御正体施主 荻嶋村佐野俊算阿達次良兵衛 元禄庚午年(1690)9月吉祥日 別当玉泉院尊湲時代」の銘文、神像には嘉永5年(1852)に塗り替えを行った旨の墨書がある。
神仏分離の後は玉泉院の管理を離れ、明治4年に村社になり、同42年8月17日に字左敷田の熊野神社、字外野合の諏訪神社、字沼迎の稲荷神社、字戸井の愛宕神社を合祀した。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
| きつね | |
| 納札所 | 御神木修納殿 |
| >本殿 | 石碑 |
| 石碑 | 参道 |
| 参道 | 参道 |
| 道祖神社 | 天満宮と小御嶽神社 |
| 疱瘡神社 | 浅間神社 |
| 水神社 | |
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2009/04