


船渡村は、上手組と下手組に分かれており、双方で別々に香取神社を鎮守として祀ってきた。『風土記稿』に「香取社二」とあるのは、そうした状況を表しており、上手組の鎮守が大泉院の持ちの香取神社、下手組の 鎮守が当社であり、村社には上手組の香取神社がなった。ところが、明治45年5月29日、政府の合祀政策に従って字上川原に鎮座していた上手組の香取神社が当社に合祀されたことによって当社が村社となり、船渡全体で祀られるようになった。また、この時、字杉戸の天神社や字屋敷前の日枝神社、字大島の日枝神社も当社に合祀された。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
| 本殿 | 力石 |
| 2つ並んでいる手水鉢 | |
| 青面金剛 | 石碑 |
| 稲荷社 | 御嶽社 |
| 左から浅間大神、磐長姫命 | 石祠 左から疫病神、不明、金比羅大権現 |
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2009/03