


当社の創建は明らかでないが、社蔵する元禄10年(1697)の検地帳の写しに「1、拾弐間・弐拾間香取大明神社地8畝歩 別当向畑村花光院」と記載されている。また、化政期(1804-30)の『風土記稿』大松村の項に 「香取社 村の鎮守にて、向畑村華光院の持、末社稲荷」と載せ られている。
かつては阿弥陀如来・十一面観音・千手観音の三体の仏像も納めていた。大正2年の「備忘録」によると、明治9年ごろ神仏分離によりこれらの仏像を地内の相心寺に移したが、同30年に天然痘がはやったため、これを祟りとして当社に戻した。しかし、その後の協議で、神仏混淆は不敬であり、神威を失墜させるとして、大正2年に再び仏像を相心寺に運び入れたとある。相心寺は昭和初めに廃され、大松集会所として使用されるようになり、昭和56年に再建された。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
| 手水鉢 | 庚申塔と供養塔 |
| こまいぬ | |
| 左から雷電・稲荷・天神社 | 八坂社 |
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2009/04