
『風土記稿』袋山村の項に 「雷電社 村の鎮守さす、村民持、下同、○稲荷社二字(中略)久伊豆社」とあるように、江戸時代の袋山村には4つの神社が祀られていた。ここには雷電社が鎮守とあるが、明治の社格制定時には当社が村社となり、雷電社は2つの稲荷社と共に無格社になった。その後、雷電社は明治40年に当社に合祀され、今では旧地さえわからない。
一方、『郡村誌』に記された諸社の勧請年を見ると、雷電社は元禄8年(1695)、稲荷社が寛延4年(1751)と宝暦8年(1758)であるのに対し、当社は慶長5年(1600)と最も古く、また雷電社が村の南端近くにあるのに対し、当社は村の中央に鎮座し、その向かいには明治初年まで持福院という別当寺もあった。更に、雷電社が今では旧社地もわからない状況であることから考えると、『風土記稿』では雷電社が鎮守として記されてはいるものの、実際には当社が村の鎮守として信仰されていたことを物語っていると思われる。創立の年代は慶長5年(1600年)。江戸時代は袋山村の鎮守は雷電社となっていたが、明治になり当社が村社となり、明治40年に、雷電社と2つの稲荷社が合祀された。
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| 鳥居 | 手水鉢 |
|---|---|
| 本殿 | 石碑 |
| 石碑2 | 三峯神社 |
| 左から稲荷神社、浅間神社、天王神社、天満宮、白山 | 石祠 山神宮 |
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2009/03