


『風土記稿』上間久里村の項に、当社は「香取明神社 村の鎮守なり、正覚院の持」と載る。 正覚院は真言宗の寺で、当社の約400m東方にあったが、神仏分離後は廃寺となり、その跡地には上間久里自治会が建っている。
当社は、明治6年に村社になったが、同30年11月に本殿と拝殿を焼失した。その後、明治35年に再建されたのが現在の社殿で、本殿は一間社流造り、拝殿兼覆屋は入母屋造りである。明治40年に字八反田に鎮座していた天神社が合祀された。
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| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
|---|---|
| 手水舎 | 本殿 |
| こまいぬ | |
| 左が御嶽神社・右が天満宮 | 石祠 |
| 石祠 | |
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2009/03