


室町時代の末期には既に村が開発されていたことが推測され、その鎮守として祀られてきた当社もまた村の開発に伴って創建されたものと思われる。『風土記稿』四条村の項では、当時の村内の神社の祭祀状況について「山王社 村の鎮守、妙音寺の持、下の四社持同じ、末社稲荷〇天神社 稲荷社○水神社」と記している。これらの神社のうち、山王社が神仏分離によって日枝大神社と社号を改め村社となった。の他の社は無格社にとどまったため、政府の合祀政 策によって明治41年に日枝大神社に合祀された。しかし、実際には天神社の社地に日枝大神社を移し、そこに他の諸社を合祀する形で神社の統合が進められたらしく、今なお当社を「天神様」と呼ぶ人も多い。
境内が吉越橋の建設用地となったため、再度移転を余儀なくされ、昭和62年に現在の社地に社殿を建立して遷座した。
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| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
|---|---|
| 手水舎 | 手水鉢(明治42年4月とある) |
| こまいぬ | |
| 本殿 | 神額に日枝神社と天満天神とある |
| 稲荷社 | 塞神、塞神、庚申、水神社、宇賀神 |
| 古峯社 | 石祠 稲荷社 |
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2009/03