


『風土記稿』 千匹村の項に「稲荷社 村の鎮守なり、柿木村万福寺の持」とあるように、江戸時代は隣接する柿木村の万福寺の管理下にあり、当社でも元来は一般的な「稲荷」の文字を社号に用いていたことがわかる。
口碑によれば、当社は京都の伏見稲荷の分霊を祀ったものであるという。氏子の中では古い家の一軒である加崎勇家(屋号「南」)には、いつごろのものかはわからないが、先祖が村の代表として京都の伏見稲荷に御神体を頂きに行った時に使ったという襷が残されている。したがって、創建の年代は不明であるが、正徳6年(1716)に京都の吉田家から受けた幣帛が現存していることから、この時の分霊であると思われる。
社号の表記を改めたのは明治以降のことであるが、『明細帳』では、「伊奈理」、「郡村誌」では「伊奈利」となっていることから、試行錯誤の末、「伊南理」と定められたものと思われる。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
| 手水鉢 | 本殿 |
| きつね(明治39年11月とある) | |
| 屋根にも狐がいる | 御神灯 |
| 古峯社 | 浅間神社 |
| 石祠 水神、塞神、天王宮、水神 | 石祠 天満、厳島、稲荷、疱瘡、稲荷 |
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2009/03