


当社は『風土記稿』見田方村の項に「天王社 村の鎮守なり、来福寺の 持、末社稲荷 天神」とある。口碑によれば、元来当社は、「柿木領八か村」の割役名主で「見田方様」とも称された宇田家の屋敷鎮守として祀られていたが、江戸初期に当地が一村になるのに伴い、宇田家によって現在地に遷座され、以来、村の鎮守として祀られるようになったという。
明治8年に村社に列せられた。その後、明治42年に境内社の稲荷神社・三峰社・天神社・八幡社を本社に合祀した。てんのうさまと呼ばれている。
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| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
|---|---|
| 手水舎 | 手水鉢(昭和15年10月とある) |
| 本殿 | 池内弁財天 |
| 左から猿田彦大神・塞神 | 稲荷社 |
| 三峰社 | |
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2009/03