日枝神社

社  史

当社の勧請に関する定かな記録はないが、神仏分離以前は山王社と称した。『風土記稿』西方村の項によれば、村の鎮守である当社は、元は「六佚の僧」を持つ大社で、東光院のほかに利生院・神王院・安楽寺・薬王寺・観音寺の五寺を配下に収めていたが、後に神王院は廃され、利生院は、大相模不動尊で有名な地内の大聖寺の塔頭になり、残る三寺は東方村の村内にあったという。なお、別当の東光院は当社の東側にあったが神仏分離によって 廃寺となった。
明治の初年山王社は日枝神社と改称、明治40年同村の八幡神社、稲荷神社、愛宕社、天神社などを合祀している。

ご祭神
大山咋(おおやまくい)命
素盞鳴(すさのお)尊
菅原道真(すがわらみちざね)公
大己貴(おおなむち)命など15柱
アクセス
越谷市相模町6-481YAHOO地図より

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1の鳥居2の鳥居
1の鳥居2の鳥居
3の鳥居手水舎
3の鳥居手水舎
手水鉢(嘉永6丑年とある)手水鉢(嘉永元申年とある)
手水鉢他手水鉢
御神灯神門
御神灯神門
3の鳥居にいるサル
さる1さる2
こまいぬ
狛犬1狛犬2
鹿島社天神社
鹿島社天神社

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2009/03