


当社は元は水神社と称していた。創建年代は明らかでないが、大正13年の河川改修以前は鎮座地のすぐ東側に古利根川が曲流し、そこに「せいが淵」と呼ばれる淵があって水流が渦を巻いていて、しばしば水難事故が起きた。そこで川の怒りを鎮めるために水神様を祀ったものと伝えられている。
『風土記稿』増森村の項には、「香取社 東正寺持○水神社 金蔵院持、以上二社村の鎮守なり、○弁天社 真正寺持○第六天社 清覚院持〇稲荷社四宇 一は東正寺、一は観音寺、外二社は清覚院の持なり」と村内の諸社について記されており、村内の本田地区に鎮座する香取社と当社が村の鎮守であったことがわかる。また、当社の別当であった金蔵院は、同村内の東正寺門徒で元和元年(1615)に僧良識の草創であると伝える。
神仏分離を経て、明治5年に当社は村社に列し、香取社をはじめとする諸社は無格社とされた。更に、同45年には、すべての無格社を当社に合祀し、村名にちなんで社号を増森神社と改めた。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
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2008/01