


越ヶ谷宿は、日光街道三番目の宿場として慶長7年(1602)ごろに成立した。宿内は本町・新町・中町の三つに区画され、それぞれに名主が置かれた。
当社はこの三町のうち、新町の鎮守とされている。鎮座地は日光街道の町並みの一角である。口碑によれば、元々八幡様の境内地は岡本家の土地で、いつのころか同家から八幡様に寄進されたという。
元禄10年(1697)の「越ヶ谷町検地水帳写」(越谷市立図書館蔵)には「1、25間半・33間 八幡社地、式反8畝式歩 別当天嶽寺」とある。また『風土記稿』 越ヶ谷宿の項には「八幡社文和2年(1353)と彫し、青石を神体となせり」とある。この青石は、板碑のことで、現在も本殿に八幡大明神立像と共に納められている。『明細帳』では、当社の勧請は文和2年とされているが、これは板碑造立の年紀に結びつけられたのである。
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| 鳥居 | 手水舎 |
|---|---|
| 手水鉢 | 本殿 |
| 御神灯 | |
| こまいぬ | |
| 稲荷社 | |
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2007/10