


口碑によると、当地は9人の武士が開墾を始めたが、農作物が次々に盗まれるので、盗難からの守護と五穀豊穣を願い、下総国一宮の香取神宮を勧請して祀ったのが当社の始まりであるという。
江戸期において、小林村の鎮守は当社の南に隣接する神明社であった。一方、当社は『風土記稿』に「観音寺 無量山と号す、本尊十一面観音を安ず 香取社」と記され、観音寺の境内社として見える。
明治4年には、鎮守の神明社ではなく、当社が村社となっている。
その後、大正6年の台風で神木の松が倒れて本殿が損壊したために修繕し、更に昭和47年、強風で拝殿が半倒壊したことにより、5ヵ年計画で覆屋・弊殿・拝殿を新築し、同52年に遷座を迎えた。
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| 1の鳥居 | 2の鳥居 |
|---|---|
| 手水舎 | 手水鉢 |
| 御神灯 | 参道 |
| 力石 | 石碑 |
| 熊野・白山・秋葉社 | 八幡・道祖神・古峯・雷電社 |
| 琴平社 | |
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2009/04