越谷吾山の供養墓石

平成4年11月28日指定:有形文化財(歴史資料)

越谷吾山の墓は、深川霊厳寺にあったといわれているが、 その墓は現存していないため、ここ天嶽寺の供養墓石は吾山唯一の墓石といわれている。
吾山は、その名を秀真といい、享保2年(1717) 越ケ谷宿新町名主会田家に生まれ、天明7年(1787)の没、享年71歳、若年より江戸などの文人と交流して俳諧に精進し、のち「法橋」という芸道の位に推挙された。また、安永4年(1775)には、諸国の方言を分類解説した「諸国方言物類称呼」を刊行し、後世方言学の始祖と称され高く評価されている。
また、天嶽寺境内には、「ひとつるべ 水ひかるや けさの秋」という吾山の句碑が建てられているが、これは吾山 150年忌を記念して昭和9年に建碑されたものであり、越谷の人びとが、いかに越谷出身の吾山を誇りにし、その業績を讃えていたかを知ることができる。

所在地

越谷市越ヶ谷2549YAHOO地図より

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説明
150年忌碑

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