
俳人・国学者である越谷吾山は享保2年(1717)、越ケ谷宿新町の名主・会田家の生まれで、天明7年(1787)に享年71歳にて没する。
吾山は安永4年(1775)には、諸国の方言を分類、解説した「諸国方言物類称呼」を著し、方言学の祖と称され、俳諧の師匠としても法橋の位を授けられた。吾山の俳諧書には、「翌檜」や「朱紫」などがある。
ここに建てられている吾山の句碑は、嘉永2年(1849)1月、伊勢太々講中によって建碑されたもので、高さ1.15メートル、幅98センチ、厚さ最大27センチの自然石からできており、表面 には「出る日の旅のころもやはつかすみ」と刻まれている。
この句は吾山が江戸に旅立つときの句であったらしく、後世において、越ケ谷の人々は吾山を忘れることなく、その徳を慕って建碑したものとみられる。
越ヶ谷1700YAHOO地図より
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