明治時代初期から越谷市が誕生するまでの系譜

 明治初めごろは江戸時代から自然発生した町村が50あった。この時代の町村は今でも大字・字として残っている。

 明治22年に行われた明治の大合併に伴い10町村に統合される。この町村は今でも○○地区として残っている。

 昭和29年に行われた昭和の大合併に伴い10町村が統合され越谷町ができ昭和33年市制施行により今の越谷市が誕生した。

 以下に明治初期から越谷市になるまでの系譜?を作成しました。PDFでダウンロードもできます。

PDFファイルをご覧いただく為には、Adobe®ReaderTMが必要です。
右のアイコンをクリックするとダウンロードできます。


明治の大合併
近代的地方自治制度である「市制町村制」の施行に伴い、 行政上の目的(教育(小学校)、徴税、土木、救済、戸籍の事務処理)に合った規模と 自治体としての町村の単位(江戸時代から引き継がれた自然集落)との 隔たりをなくすために、町村合併標準提示(明治21年6月13日 内務大臣訓令第352号)に基づき、 約300〜500戸を標準規模として全国的に行われた町村合併。
住民が徒歩で役場・小学校へ行ける範囲の合併
昭和の大合併
戦後、新制中学校の設置管理、市町村消防や自治体警察の創設の事務、社会福祉、保健衛生関係の 新しい事務が市町村の事務とされ、行政事務の能率的処理のためには規模の合理化が必要とされた。 昭和28年の町村合併促進法(第3条「町村はおおむね、8000人以上の住民を有するのを標準」)及び これに続く昭和31年の新市町村建設促進法により、「町村数を約3分の1に減少することを目途」とする 町村合併促進基本計画(昭28年10月30日 閣議決定)の達成を図ったもの。約8000人という数字は、 新制中学校1校を効率的に設置管理していくために必要と考えられた人口。
住民が自転車で役場・中学校へ行ける範囲の合併